入院2日目(朝から)~退院日までの記録-完-

【前回】入院1日目(術後から)~2日目(朝まで)の記録の続きです!

※手術関係の画像がありますので苦手な方は閲覧にご注意ください。

 

 

痛み、本気だせ

朝食を食べ終えた。

肩のことをすっかり忘れていたが、痛みは殆どない。

くしゃみや、患部に力が入るとチクッと鋭い痛みが出るが、あの激痛で動けなかった時を《10/10》としたら今は《2/10》くらい。

ちなみに、私の断裂した腱板は、鏡視下腱板修復術という術式で、上の画像の場所に内視鏡などを入れて、断裂した腱板を糸とネジのようなアンカーを使って骨に圧着して固定されている。


その画像がこちら↓

※そこまでグロテスクな画像ではないですが、苦手な方は飛ばしてください(下のジャンプボタンをクリック)。

ジャンプ

上記画像は下の画像のような方向から撮られた画像です。

↓もう一つの画像は肩峰を下から撮った画像です。

断裂した棘上筋よりも、肩峰下の方が中々のグロテスク画像なので閲覧注意です。

肩峰下はかなり荒れています。

「こんなになるまで長年耐えて頑張ってくれてたんだな」

と、改めて実感と感謝をしたのを覚えています。

こちらも綺麗に骨を削り、クリーニングしていただきました。

 


つづき

そのため骨に完全にくっつくまでは、無理に動かせば再断裂する。

そして、術直後に私の首の付根に、術後の痛みを軽減させるため、腕の神経周囲に麻酔の注射が打たれている。

しかし、その麻酔の効果はもうとっくに切れているのに、殆ど痛みを感じない。

「あれ?もう麻酔切れているよな」

激痛でまったく生活できなかった、あの時の記憶が残っている私としては、術後の痛みはこんなもんかと拍子抜けした。

自宅での激痛生活は無駄ではなかったか。

不穏

9時頃

『ますださん、今日退院って書いてあるけど本当に退院するの?』

日勤の看護師さんが来た。

「昨日、先生にもそう言ってありますけど駄目って言ってました?」

『本当に帰られるの!?…もう一度確認してみますね』

『でもね、ますださん、術後の再断裂は本当に多くてね…』

看護師さんが術後の再断裂のリスクや、生活の大変さなどの話を始めた。

 

先生には話の流れで私が理学療法士だとバレてしまったが、看護師さんには伝わっていないようだ。

看護師さんからみて今の私は無茶なことを言う、面倒な患者だろうと認識している。

それでも、入院中は変な気をつかってもらいたくないので、自分の職業は伏せて傾聴した。

 

通常、腱板断裂の入院期間は1週間から長くても3週間程度。

心配になる気持ちもわかる。

しかし禁忌動作(やってはいけない動作)も、術後のリハビリの流れもわかっている者としては、手術が終わった今

ここから先は”私自身が解決する問題”だとわかっている。

じっとしていられないのだ。

 

そんな気持ちをよそに不穏な空気が流れている。

(今日の退院はさすがに許可がでないか…)

半ば諦めを感じながらも、今出来ることを考える。

一日中寝ていたため、もうベッド生活はうんざりだ。

しかし、病棟を歩くにしても、あまりウロウロしていると他の患者様や看護師さんの迷惑になるため長くできない。

また部屋に戻って椅子に座って身体を動かす。

しかし、本当に静かだ。

私が動く度に病室に音が響き渡る。

駄目だ。気を使って出来ない。

 

早々にトレーニングをやめ、談話室へ行く。

そこで、持参した本を暫く読んでいた。

的中

11時前だったと思う。

さっきの看護師さんが来た。

『ますださん、やっぱり駄目だって!』

不安は的中した。

 

『基本的にNOと言わないあの先生が、即答したからよっぽどだと思うよ!』

やりおったな先生。

私は内心そう思った。続けて看護師さんが言う。

『ますださん、PT(理学療法士)さんなんだって!?言ってよ~!!』

『他の人達は知ってて、さっき教えてもらったのよ~!』

 

やはり患者情報に書いてあったか。

そしたら話は早いぞ。

  • 今、自宅に帰っても生活に困ることはない。
  • 日常生活動作の注意点はわかっている。
  • 今後のリハビリの流れはわかっている。

以上の点から、大丈夫だということを看護師さんに伝える。

 

「今日が駄目なら明日は帰っていいか先生に聞いてもらっていいですか?」

『13時半頃に回診で先生くるから、その時に聞いてみましょう!』

 

さて、今日一日、私は何をしていればいいんだ。

たった半日で暇をもてあそぶ私に、まだ半日以上時間が残っている。

身体を動かしたくても、環境的に出来ることに限界がある。

よし、もうこうなったらとことん堕落した時間を送ってやろうじゃないか。

 

気持ちが切り替わると、行動は早い。

ベッドに横になる。

点滴台にスマホを置き、イヤホンを耳に入れる。

「どうだ!」

と、言わんばかりにふんぞり返って私は映画鑑賞を始めた。

習慣

春夏秋冬、1日2~3回はアイスコーヒーを飲む私。

その私が丸一日以上、一滴も飲まなかった。

たまらず自販機に向かう。

私のアイスコーヒーに対する情熱は並々ならない(と思っている)。

 

紙やプラスチックのコップで飲むアイスコーヒーは味気ない。

私はそのためにホーローのコップを持参していた。

味は容器で変わる。

 

そこに缶のアイスコーヒーを移し替える。

「あ、氷がない(当然だ)」

一瞬、氷を貰えないか考えた自分の神経を疑った。

 

しかしまぁ氷が入っていないアイスコーヒーは何とも爽快感がない。

だが贅沢は言えない。

味わうことなく一気に飲み干した。

ブルータス、お前もか

映画と昼食を終えてまた談話室に戻る。

音楽を聴きながら本を読んでいた。

殆ど誰とも接点を持たず、話さず、平日に好きな音楽と好きな本を読む。

肩を手術したばかりだといういうのに、実に平穏な時間が流れている。

「入院生活もまぁ悪くないか」

 

14時頃

イヤホン越しに私を呼ぶ声がした。

『どぉ!?』

看護師さんを連れて先生が来た。

ここで私の肩の術後の状況を把握することができた。

 

「見てのとおり、全然大丈夫ですよ!」

『痛みは?』

 

「あの時が10だったら今は2です」

『ホントにー?じゃあどうする?』

 

「え、帰っていいんですか?(帰れるのか!!?)」

意外な言葉に”退院”の期待値が一気に上がった。

 

『ダメです!今日は入院するんです!』

 

まさかのナースストップが出た。

期待は1秒も経たずに消え去った。

そして先生は看護師さんに怒られていた。

 

そして先生が言う。

『ダメだって!』

アニメでしか見たことのないような、見事な”テヘペロ”の表情で言った。

 

(一瞬でも期待したから、がっくり…)

「先生、明日は大丈夫ですね!?」

念を押す。

『わかった!明日退院ね!』

「絶対ですよ!!明日になったら帰りますからね!」

 

『OK!』

退院日が確定した。

静寂

その後も本や映画、身体を動かしたりと時間を潰していた。

途中、眠気が出たが「今、昼寝したら夜眠れなくなる」と思い、寝なかった。

これが後々あだとなる。

 

なんやかんやで夜になり、入院生活最後の夕飯を済ませる。

静かとはいえ、日中は職員の動きが多いため、生活音が多少は聞こえる。

しかし、夜になると静寂の時間が訪れる。

 

言い忘れていたが、私の病室は4人部屋だ。

20時前には殆どの患者様の寝息が聞こえてきた。

静寂に耐えきれず病室を出て、談話室に向かう。

しかし、消灯時間も迫り、病室に戻る。

 

やることがない。

ダラダラと携帯を眺める。

深夜0時頃、ようやく眠気が訪れ就寝。

眩い光

「うわっ」

眩しくて起きた。

時間を見たら、まだ夜中の1時

なんの光で起きたのか。

それは、下の画像ように、トイレの扉が開くとカーテンのレースの隙間から眩い光が顔面を直撃するのだ。

それからは1~2時間ペースで、カーテンの音や、この光で起きることに。

初日は、麻酔の力はあれど14時間ちかく寝ていた私が、今日は全然寝付けない。

 

最終的にはイヤホンを耳栓代わりに装着し、就寝。

(昼寝をしておけばよかった…)

 

縁起でもないが次、入院する時はアイマスク、耳栓を持っていこう。

帰りたいけど帰れない

朝を迎えた。

若干、眠い。

 

退院は10時半

最後の食事、そして準備を済ませて、時間を潰す。

しかし、今日は昨日と違い気持ちが落ち着かない。

 

10時過ぎに退院の事務的手続きを終える。

待ちに待った退院だ。

(さぁ帰るぞ!!!)

挨拶を済ませて、1階へ降りる。

 

会計を済ませるために受付で妻の迎えを待つ。

メールが届いた。

「(駐車場が)空いたけど入れられへん!きて!」

 

受付スタッフの方に言う。

「すみません。妻が駐車場に車を入れられないと連絡が来たので、また帰ってくるので行ってきて大丈夫ですか?」

受付スタッフの方は満面の笑みで「どうぞ」と答えた。

退院してから外の空気を吸うと当然に思っていたが、まさかこんな形で外に出るとは。

小走りで駐車場に向かうと、車が仁王立ちして私を待っていた。

再会を喜ぶ間もなく、急いで駐車場に車を入れる。

どうでも良い情報だが、私は左利きだ。

手術は右肩なので運転は問題なくできた。

道路交通法第70条
車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。→片手運転を明確に禁止とする法律はないようですが、状態によっては違反となるケースもあるので確実に操作できると判断できない場合は運転をやめたほうが賢明でしょう。

寄り道

病院に戻り、無事に会計を済ませる。

私は晴れて釈放された。

改めて外の空気を味わい、私がいた病室を見上げる。

(お世話になりました。でも、もう帰ってこないぞ)

 

『何か食べてから帰る?』

私は回転寿司に行きたかったが「帰路から外れたルートを運転したくない」ということで近くのファミレスへ。

意気揚々と入店

「さぁ食べるぞー!」と一口

あれ、思っていた感動もないし、病院食と変わらない。

 

最後に筋トレしてから6日間

週5回、筋トレしている私が6日も休んでいる。

そんな私が食事をしても細胞レベルで美味しいと感じないのだ。

 

入院期間は、たった3日、されど3日。

でも終わってみれば、怒涛の3日

 

今、身体はここに確かにある。

しかし心は病院にまだ取り残されている気分だ。

それでも、空を見上げて肩から視界を外せば手術をしたことすら忘れてしまう。

 

今回、患者様の気持ちを身をもって知ったという面では、この3日間はとても学びのある時間だった。

理学療法士は数あれど、入院、手術を経験した理学療法士はそう多くないはずだ。

これで本当の意味で患者様の気持ちに寄り添える理学療法士に近づいた気がする。

 

あぁ、つくづく健康というのは尊いものだ。

 

さぁ、トレーニングするぞ。

 

-おしまい-

 

 

後日談

  • 11月14日(火):入院&手術
  • 11月16日(木):退院
  • 11月17日(金):トレーニング再開

この日のご飯はベラボウに美味しかった。

消費するから食事が美味い。改めて感じた。

  • 11月20日(月):営業再開&再診①(抜糸)/手術から7日目
  • 12月 5日(火):ギプス固定[終了]/手術から22日目
  • 12月18日(月):再診②/手術から35日目

と言った流れで時が過ぎた。

 

再診①の時はギプスのある状態で受診し、肩の抜糸をした。

再診②の時はギプスを外した状態で、先生と久々に再開した。

 

扉を開けると開口一番、先生が言う。

『どぉ!?』

私はニヤリと笑みを浮かべて、天井高く腕を挙げた。

 

『ウソ~!手術したよね!?』

先生は笑っていた。

 

「しましたよ~!めちゃくちゃ頑張りましたからね」

『俺の腕が良かったのかな(笑』

 

リハビリをする時は患者様の状態を、実際の動き、反応、言葉、表情などから読み取り運動を進めていく。

しかし、読み取るもなにも、今回は私自身のリハビリだ。

こんな簡単なリハビリはない。すべて手に取るようにわかる。

こんな風に患者様の状態を知ることが出来たら、どれだけ楽だろうか。

 

腱板損傷や腱板断裂術後の臨床経験はあるが、どれだけ勉強して経験を積もうと「こうだろう」と予想して介入することしか我々には出来ない。

しかし、自身が経験したことで「あぁなるほど」

予想が確実なものとなり、点が線となった。

この経験は理学療法士としての私に、大きな財産、糧となった。

そして、肩が益々好きになった。

あとがき

2023年12月28日(木)手術から45日目

 

今の状態を”根本的に”良くしてくれるのは他人ではない。

リハビリは、受動的ではいけない。

すべては能動的な行動。

そして「よくなりたい!」ではなく「よくする!」という確固たる決意。

 

「日常生活を今まで通り送れるようになる」という目標であれば、私は術後5週目で達成しました。

しかし、私の目標は「パワーリフティングをまたやる」です。

そのためには、来年の今頃までかかると感じています。

長い。

本音を言えば

「どこまで戻せるかわからない」

「もう競技者としての寿命は終わった」

「ここが潮時なのかもしれない」

「続ければ、また怪我をするぞ」

と、心の声が聞こえ、”重り”と向き合う恐怖心もあります。

 

しかし、私の精神を支える根幹にはトレーニングが間違いなくあります。

「この行為から離れたら、私ではない」

「運動療法を扱う理学療法士がトレーニングをしていないなんてありえない」

「力持ちの、格好いい父親でありたい」

というプライドが恐怖心を凌駕しているからこそ私はパワーリフティングを続けます。

 

18歳の頃に追った怪我をきっかけに今年、歳男の私は過去の清算(手術)をすることに。

本当に大変な年でした。

しかし、アメフトに出会い、トレーニングに出会い、それをキッカケに理学療法士になり、パワーリフティングに出会って今の私(人格)が形成されました。

どれか一つでもかけていたら今の私はなかった。

だからこそ、この怪我への後悔もありません。

それだけやってきたという自負もあります。

そう自信をもって言えないなら、今まで耐えてくれた身体にも失礼です。

 

今回は、いわば身体を車検に出しただけです。

車でいったら10万キロ走った頃でしょうか。

そうなれば部品の交換もいくつか出てきます。

新車には戻れない。

でも乗らない新車よりも、毎日乗る中古車の方が調子は良いんです。

私にとって、今の身体は経年劣化ではなく経年変化です。

現実の車のように乗り換えることは出来ない。

廃車になるその時まで元気に走り続けられるように、メンテナンスという名のトレーニングを行い、自分の車を磨き続けます。

 

それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!

症状や経過の詳細については、またどこかでまとめて話せたらと思います。

 


 

投稿者プロフィール

Yutaro Masuda
Yutaro Masuda理学療法士
理学療法士として幾多の臨床経験を経て2020年に『RE-ALL FITNESS』を設立。
もともとは体重100kgオーバーの大食漢。腕立ても腹筋も出来ない男がアメリカンフットボールに出会ったことをきっかけにトレーニングを始める。やめてからはパワーリフティングに転向し、トレーニングに明け暮れる2児の父親。