入院1日目(術後から)~2日目(朝まで)の記録

【前回】入院1日目(手術まで)の記録の続きです!

必死

ドンドンドン

誰かに胸を叩かれている。

『・・しゅ』

 

ドンドン

『手術成功しましたよー!』

何を言っているのか認識した。

 

しかし、意識が朦朧としている。

目が開かない。

気持ち悪い。

猛烈に寒い。

歯がカタカタと鳴る。

酸素マスクが苦しい。

話している声だけが途絶え途絶え聞こえてくる。

意識を保つことだけで精一杯だ。

ちょっとでも油断したらまた意識が飛びそうだ。

(後から聞いた話だが手術は16時過ぎに終わったようだ)

 

私は手術着から病衣に着替えさせていただいている所だったと思う。

『おしり上げてくださーい!』

しっかりしなきゃと自分に言い聞かせる。

しかし猛烈な眠気で、油断するとまた眠ってしまうような状態。

その薄れゆく意識の中、精一杯の力を入れてお尻をあげてズボンを履く。

 

「さ、さ、さ、寒いです」

なんとも情けない声が出た。

この辺りで記憶はなくなり、意識が飛ぶ。

倫理観

それから数十分経った頃(だそうだ)。

 

『帰るねー!頑張ってよー!』

妻の言葉で目が覚める。

 

しかし、頑張っても目が開かない。

眠い。

薄れゆく意識の中で私はきっとこう弱々しく返事した。

「は、はーい」

 

そしてまた、意識が飛んだ。

 

[後日談]

妻に「そういえば、運ばれてきた時の写真はないの?」と聞いたら

『凄いうなされていたし、酸素マスクもつけて痛々しくて、倫理観が勝って撮れなかった』と言われた。

そのため、術直後の写真が一枚もない。

どんな状態だったのか見たかった…。

しかし、これが正しい行動だったのだろう。

何時だ

途中、猛烈な暑さで布団をはいだ(記憶がある)。

「あ、暑いーー」

うなされながら布団を脚でどかして、汗でダラダラの酸素マスクを外した。

手術中に気管チューブが入っていたので喉の痛みも感じる。

そこからは点滴や抗生剤の交換、検温、血圧チェックなどで都度起きる。

 

たぶん、麻酔科医の先生も、私の状態をチェックしに来た。

なんて返事したかあまり覚えていないが、ちゃんと受け答えをしていたと思う。

とにかく眠い。気持ちも悪い。記憶も断片的だ。

例えるなら、ライトのスイッチのオンとオフを繰り返している状態。

 

オペ後に帰ってきた時には、病室の明かりをまぶたの裏側から感じていた。

しかし、今は真っ暗だ。

いったい今、何時なんだ。

 

私の左側のテレビ台に置いてある腕時計と携帯。

目と鼻の先だ。

時間を確認したい。

しかし、手すりが邪魔をして唯一動く左腕でも届かない。

暗くて時計を確認することもできない。

詰んだ。

そもそも眠すぎて動く意欲も湧かない。

また私は寝ていた。

なんでやねん

「うぅぅ!!!!」

激痛で起きた。

辺りはまだ真っ暗だ。

病棟全体が静まり返っている。

 

私は、肩の痛みで起きたわけではない。

では、なんの痛みだ。

 

暗闇の中、骨盤の横に左手を下ろすと、柔らかいチューブ状の物が手に当たった。

「あぁ、入ってる・・・」

すぐに状況を理解した。

犯人は尿道カテーテル(バルーン)だ。

その痛みで起きてしまったのだ。

 

「これから私は術後にどんな肩の痛みが待っているのだろうか」

「あの時より酷い痛みが出るのだろうか」

そういった不安はあった。

しかし、私に最初に訪れた痛みはまったくの想定外の痛みだった。

そして、その痛みに悩まされる夜が始まった。

 

まだ時間はわからない。

そしてまた気づいたら寝ていた。

やっと

「いてっ…」

またカテーテルの痛みで起きた。

 

麻酔でまったく動かない指

触っても感じない右腕

しかし、次に痛みで起きた時には指に痺れがあるものの動いた。

肘はずっとギプスに当たっていたからか、圧痛がある。

肩はまだ麻酔が効いている感じはあるが、感覚はある。

 

やっと身体を動かそうという意欲が出てきた。

そして、自分の今置かれている状況を徐々に把握し始めた。

ちなみに麻酔から目覚めたら、こんな感じで右腕はギプス固定されていた。

どうしたらいい

一先ず、時間を確認するために寝返りをうちたい。

が、私は術後の状態の説明を寝ていたので当然受けていない。

 

つまり、術部の状態をまったく知らないのだ。

 

それがわかっていれば堂々と動ける。

しかし、今は100%真夜中(のはず)。

先生に聞けるわけがないし、ナースコールを使ってまで取ってもらうことではない。

そもそも今日帰るつもりの私が、この程度で手を借りていては帰るなどありえない。

よし、自分の身体を機能評価していこう。

真夜中のリハビリ

安全を考慮して患部から遠いところから動作チェックだ。

下半身、OK

体幹、OK

左腕、OK

首、OK

そして最後は問題の右腕だ。

右の指、手首、肘と動かす。

麻痺はしているが大丈夫そうだ。

さすがに肩周りは力が入るとチクッとする。

 

さぁ、準備はできた。

寝返りをやってみようか。

左手で手すりを掴んで少しずつ角度をつけて寝返りをしては戻す、を繰り返す。

完全に身体が横を向くまで慎重に動かしていく。

同時に右肩の痛みの状態を探っていく。

そして左に完全に寝返りをうつことが出来て、ようやく時間を確認することができた。

 

只今の時刻、夜中の3時

 

オーマイガー

14時間

なんと私は14日(火)13時30分過ぎに麻酔をかけてから

15日(水)深夜3時まで寝たり起きたりを繰り返していたようだ。

それだけ眠っていればメールもたまっていた。

とりあえず、深夜3時だが、無事と、目が覚めたことを伝える。

 

さぁこれからどうしようか。

寝ようと思えば、まだ寝れる。

しかし、表現が難しいが眠くて寝たわけではない約14時間

それに定期的に訪れるカテーテルの痛み

 

「よし、身体を動かすか」

 

術部の断定は出来ないが、ギプスの形状からみて、あそこなのは間違いない。

とりあえず、殺虫剤をかけられた虫のように寝ながら脚をブンブン動かし、浮腫の改善だ。

ずっと寝ていたから、足首、膝と関節が固まっているのがわかる。

その次は左腕、最後に右腕の指、手首、肘を動かす。

ウォームアップ終了。

さぁ動作練習だ。

寝返り運動を繰り返し、慣れたところで起き上がり。

14時間ぶりに座ることができた。

若干、起立性低血圧のような症状が出る。

半日寝ていたとはいえ、それだけでクラっとするとは。

長い一瞬

朝5時頃

巡回の看護師さんが来た。

点滴や抗生剤の入れ替えだ。

朝には終わると思っていたが、まだ続くようだ。

 

ここで一つ聞いてみた。

「看護師さん、バルーンってもう抜いたら駄目ですか?痛くて」

『あ、いいですよ。じゃあ今やっちゃいますか』

 

当然、カテーテル(バルーン)を入れている時は全身麻酔なので痛みはなかった。

しかし、抜く時は意識もあるし痛みも感じる。

恥ずかしいなんて言ってられない。

どんな痛みが待ち受けているのか。

肩のことなど微塵も気にせず、私は全身の力を腹部に向けた。

 

『はい、大きく息を吸ってー』

スーーーッ

『はい、吐いてー』

フーーーッ

「うぅぅぅぅ!!!!」

 

たった1、2秒の出来事だったが、果てしなく長い一瞬だった。

語彙力のない私には「痛い」という表現しか出来ない。

しかし、この痛みは、そんなタンパクな痛みではないとだけ言っておこう。

 

後日談として、それから9時間くらい尿意はなかった。

そして尿意を感じ、トイレにいった時は丸一日、チクチクと痛みを感じるのであった。

二度とゴメンだ。

炎天下の生ビール

カテーテルを抜いた時

「水分はいつから摂っていいですか?」

『あ、もういいですよ』

私の頭の中で効果音が鳴った。

 

常温のペットボトルの麦茶。

私にはキンキンに冷えて汗をかいた缶ビールに見える。

栓を開ける。

約21時間ぶりだ。

生唾を飲む。

深い深呼吸のあと、一気に流し込む。

食道を通り抜ける麦茶の存在をはっきりと感じる。

飲み干した。

『ハァーー・・・』

生きている。

『朝ごはんも出ますからね~』

好き嫌い

はじめに言っておくと、私は病院食が苦手だ。

味もだが、それ以上に何というかあの全体的な白い色調が苦手なのだ。

どうしても食欲が沸かない。

手を付けようと思えない。

病院に勤めていた時も「余ったから食べる?」と夜勤の看護師さんに言われても食べなかった。

他にも、次男が産まれる時、ちょうど夕飯時で看護師さんに「お父さん、食べちゃって!」と妻の夕食を出されたが私は食べなかった。

ちなみに私のつまらない名誉のために言うが、好き嫌いはない。

基本的になんでも食べられるし、残さない。

しかし、唯一例外なもの。

それが”病院食”ということだ。

堂々と言えることではない。

 

朝食が運ばれてきた。

UDON

テストでプリントが配られ、開始まで問題を裏返しにする。

「どんな問題だろうか」

開始まで不安と戦う。

先生の『はじめ!』の号令を待つ。

 

まさに私は今、この時の学生の気持ちだ。

 

しかし、私はただ手ぐすねを引いて待っていたわけではない。

ある作戦をすでに遂行していた。

この病院は主食を、ごはん、うどん、パンの中から選べる。

「ごはんはおかずで左右される」

「パンだとおそらく焼かれていない普通の食パンのはず」

「よし、うどんなら、おかずに左右されることなく食べられるはずだ」

そう思い、看護師さんに”うどん”をお願いしていたのだ。

 

作戦は成功した。

醤油ベースの汁を吸いに吸ったうどんを一気に胃袋へ流す。

ちなみに、私はスープを吸いに吸った麺類の給食が小学生のころ好きだった。

たしかあの時は味噌ラーメンだった。

 

にしても多い。

大盛り?

 

つづく

投稿者プロフィール

Yutaro Masuda
Yutaro Masuda理学療法士
理学療法士として幾多の臨床経験を経て2020年に『RE-ALL FITNESS』を設立。
もともとは体重100kgオーバーの大食漢。腕立ても腹筋も出来ない男がアメリカンフットボールに出会ったことをきっかけにトレーニングを始める。やめてからはパワーリフティングに転向し、トレーニングに明け暮れる2児の父親。